体験者インタビュー集に「vol.19:野村裕さん」を追加しました

 

 

こんにちは。あわ居の岩瀬崇です。表題の通り、本日あわ居ホームページ上の「体験者インタビュー集」に「vol.19 : 野村裕さん」を追加しました。

 

野村さんは2022年の3月にはじめて「あわ居別棟」をご利用いただいてから、これまでに計5~6回ほどご滞在いただいています。今回のインタビューでは、これまでの滞在において最も印象的だと教えていただいた、初回の滞在についてお話しいただきました。

 

私たちとの対人的な接触の時間も多いあわ居本棟での「ことばが生まれる場所」とは異なり、「あわ居別棟」でのご滞在は、私たちにとってはブラックボックス化しているといいますが、そこで一体何が起きているのかが、より見えにくい場所です。だからこそ、インタビューの中で語られる言葉には、「え、そんなことが起きていたの??」というような驚きが、いつも必ずあります。今回、野村さんに語っていただいた中にも、そんな驚きがたくさんありました。2021年の夏に石徹白に出会ったことの野村さんは、仕事やプライベートで、少し行き詰まりの感覚を感じていたとのこと。そんな中ではじめて「あわ居別棟」で泊まった時間について、こんな風に語ってくださいました。

 

その時は一泊させていただいたわけですが、何と言いますか、本当に静かで……「静謐」ってまさにこういう感じなんだろうなぁと。そしてあんなに深く眠ったのは、後にも先にもあの時だけかなぁというくらいに、その日はよく眠れた記憶がありますね。うまく言葉にできないですが、「静謐」というのは別棟の周りの積雪が音を吸収して、ノイズが少なかったということも、ひとつの要因だったのかもしれないですが、でもそういう部分だけの話でもないのかなと思っていて。あれくらい深く眠れたというのは、それ以外に、何か心を安らげてもらえる何かがあったんだろうなぁと私としては思っています(中略)。ずっと東京での生活を三十数年続けてきた中で、少しくたびれているというか、いろんなところが錆びついているというか……だから、あの時あれだけ深く眠れたというのは、そうした当時の背景があった中で、どこか精神的に安らげた部分があったのかなと。五年経った今でも覚えているくらいに、すっきりとした感覚を伴う目覚めだったんです。錆が落ちた感覚がそこにはありました""

 

 

野村さんの言葉のなかで、特に印象的だったのは「錆が落ちる」という言葉です。その後、野村さんは「悩んでいても仕方ない」「逃げていても仕方ない」と思い直し、公私ともに、ひとつの壁を越えたことがうかがえるお話もしてくださいました。そのうえで、石徹白やあわ居との出会いやそこでの時間について以下のように語ってくださいました。

 

 

この五年間、自分がやっていたことを一言で言うとすれば、確かにそれは石徹白やあわ居との出会いを起点として、自分の自発性や主体性、自律性を再獲得することに足掻いていた、そういうことになるのだと思います。その前の、仕事をバリバリやっていた頃は、自分自身がそうしたいからしていたというよりも、周りの期待があって、周りの期待に応えるために、ガリガリやっていて……でもそれは、主体性を失った状態といいますか、周りの期待に応えることが自分の存在価値であるかのようになっているということです。そこでは気が狂うみたいに残業ばかりしていて、週末はくたびれて泥のように眠って、あまり家族とも向き合っていないし、自分自身とも向き合えていない……(中略)。

 

自分自身が何をやりたいのか、どうなりたいのかを、自分なりに選んでいくという……それが人生なのだということは、当たり前のことと言えば当たり前なんでしょうけれど、でも良い大学を出て、少し難しめの試験を受けて、三十数年も公務員という安定職種で胡坐をかいて仕事をするという、そんなことしか自分はしてきていなかったので……だから石徹白やあわ居での時間は、そんな当たり前のことを再確認したり、素直にそれを言葉にしたり、あるいはそれを子どもに向かって語り掛けたりするにあたって、とても大事なきっかけだったなと思っています。その中で、自分自身も心が軽くなって、公務員の世界に閉じずに、社会起業家の方をはじめ、いろいろな方と交流し始めるようにもなりました。そんなことはこれまで思いつきもしなかった。だからこれまではすごく狭い世界の中でしか物事を考えていなかったな、それはちょっともったいなかったなぁということを、つくづく感じているところです。

 

 

 

野村さんのこうした転機に際して、あわ居別棟が作用した部分はごくごくわずかです。加えて、その作用したものも、具体的な因果関係を示せるものではありません。しかし、インタビューをすすめるなかで、それでも何かしら、野村さんの転機に関与できたことは確かなのかなということが実感され、あわ居という場を運営していてよかったなということを改めて感じましたし、人間が葛藤し、その状況で他の誰でもない「この私」と対峙し、そしてそれを乗り越えていく姿は、本当に美しいなということを感じました。そして私たちは、そうしたプロセスに関与すること、あるいはそうした状況にある人と関わることが好きなのだと再認しました。インタビューを起点に紡がれた野村さんの物語。是非、全文をご覧いただければ幸いです。

 

 

あわ居 岩瀬崇