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こんにちは。あわ居の岩瀬崇です。表題の通り、本日あわ居ホームページ上の「体験者インタビュー集」に「vol.21 : 梅田育子さん」を追加しました。
梅田さんは2024年の9月に小学生の娘さんとお二人で「あわ居別棟」をご利用いただきました。別棟での滞在にあわせて、プロセスダイアローグもご利用いただいたことから、今回の体験者インタビューではその両方の体験について、それぞれお話を伺いました。
インタビューの中で特に印象的だったのは、梅田さんがあわ居別棟での滞在について「日常感と非日常感が、良い形で両方とも体感できた」とおっしゃられた箇所です。日常的なんだけれど非日常的でもある。そうした時間をもしかすれば「異日常」と言葉で言いあらわせるものなのかもしれません。
あわ居別棟でのそうした時間の中で、娘さんとの距離感にギャップが生まれたり、野花を活けることが好きだというご自身の傾向を想い出したり、あるいは保育園時代に自然の中でめいっぱいに遊んでいた頃の娘さんの感性の豊かさがふと垣間見える瞬間があったり……こうした気づきは、日常的な生活空間の中ではなく、異なる日常に身を置くからこそ、生じることであるのかなということを強く考えさせられます。日常というのは習慣によって安定化し、効率化する部分があるとは思いますが、しかしそうした習慣によって排除されたり、見えなくなってしまっているものがあるという事実は、誰しも少なからず実感する部分があるのではないでしょうか。もちろん、あわ居別棟でこうした日常とのギャップを体験して、それがすぐに日常に反映されたり、劇的に日常を変化させる契機になることはほとんどないかもしれませんが、しかし「そうでありえる可能性」を垣間見たり、「そうありたい自分自身」を、日常とのギャップにおいて自覚することは、その後の人生に何らか良い作用をもたらすのではないか、そのようなことを深く考えさせられるインタビューでした。
加えて、インタビューの後半に語っていただいたプロセスダイアローグ(90分)についての語りでは、シングルマザーであり、「てんかん」の当事者である梅田さんだからこそ、見えてくる世界についての貴重な語りが展開されています。以下インタビュー記事からその一部を引用します。
「私はここで困っているんです」とか「ここだけはどうしても大事なんです」っていうところをちゃんと開示すること、そういうことの大切さを最近認め始めています。私がそうやって、人に感謝しながら頼るっていうことができるようになれば、もしかしたら私が想像していなかった誰かが楽になる可能性もあるのかなって。みんながみんな頑張っていると、生きにくい社会になってしまうと思います。ヘルプを出すリーダーみたいな、そういう役目があるのかもしれないですね(笑)。「私、できないです」「私、このままじゃ働きつづけられません」みたいなことを率先して出す、みたいな。
市街地で暮らし働く中で感じられていること、それを踏まえて、「弱さ」をいかに周りに宣言できるのか、そしてその「弱さ」からいかに他者と繋がり直していくのか……誰しも何らかの「弱さ」を抱え、それぞれに生きていくことの難しさを感じざるをえない状況があるなかで、梅田さんの語りを読むことは、自らの「弱さ」や「当事者性」について、考える契機にもなるのではないかということを感じています。
そして本来、社会や制度というものは、そこに生きる個々それぞれが抱える当事者性や弱さ、それぞれにとっての生きられた世界という無数の視点、無数の現実を考慮しながら、その形態や内容を吟味し、設計していくことが必要なのだと思います。その意味でも、ある個人がどのような世界を生き、そこでどのような生きる難しさに直面していくかを知ることは、社会の「現在」を知るひとつの契機となり、社会の「これから」を、あるいは自分自身が「これから」をどのように生きていくのか、そこでどのように他者と関わっていくのかということを深く思案することにつながっていくのではないかと思います。そんなことを考える契機としても、是非梅田さんのインタビューをご覧いただければ幸いです。
あわ居 岩瀬崇