体験者インタビュー集
ーあわ居別棟に1泊2日でご滞在いただいてから約4ヶ月になります。当日は別棟でのご宿泊と共に、「プロセスダイアローグ」もご利用いただきました。今日はそれぞれについてお話を伺えればと思っています。まずは別棟での滞在についてお話しいただけますか?
あわ居別棟での滞在では、日常感と非日常感が、良い形で両方とも体感できたなぁというところがありました。食器や調理道具がそろっていて、心躍るような家具に囲まれながら、道中買ったものを子どもたちに「食べてね」って差し出せる、あの自然な感じと言うんですかね……自分がしたいことがひらめいたら、すぐにそれを実行できることの嬉しさ。そういうものが、あわ居別棟の滞在のなかではありました。自分でどこかに引っ越しするとなると、ちゃんと自分で全部を揃えてから、ようやく自分らしい暮らしになるっていう、時差があると思うんですね。でもあわ居別棟では、あれだけもう最初から揃えてもらっているから、いきなり自分らしい暮らしや行動に没頭できるっていうか……それがめっちゃ面白かったです。
ーいわゆる宿とはちょっと違う感じがあったのでしょうか?
そうですね。普通にビジネスホテルに行けば、食べる場所は周りにそれなりにあるし、環境も整ってはいるんだけれど、用意してもらうばっかりなんで。そうすると自分からアクションはあまりしないじゃないですか。もちろんあわ居別棟でも、お野菜をおすそ分けしてくださったりとか、食器を含めいろいろと用意はしていただいたわけですけど、でもそこでは完全なお客さんではなく、たとえば料理は私自身がするわけだから……その意味では、動く主役は私だったっていうところがありました。それにあわ居の岩瀬さんたちとは「ご近所さん」みたいな距離感で。なんかウズウズするんですよ。「あわ居の二人の娘さんたちはもう寝たのかなぁ」とか(笑)。なんか良い距離感で時間を過ごさせてもらったなぁと。あと私は無人市とか、町内会のコミュニティにちょっと混ざってみるとか、そういう人間くさい場所が好きで。ちょうどあの日は日曜日だったから、白山中居神社(*1)の近くでやっていた朝市で地元のおばちゃんと話が出来て、お野菜頂いたりもして。そういうのも私のツボでしたね。
ーなるほど。その他に印象に残ったことなどはありますか?
私は今、娘と3DKくらいのアパート住まいなんですけど、常に娘が見えるところにいる生活なんですよね。でも、あわ居別棟では(私が一階にいて)娘が一人で二階に居るみたいな、そういう生活が出来ていたんです。「お母さんー」って二階から声をかけてもらう、あの距離感がすごく新鮮で。お互いのプライベートというか、お互いにとって見えていないスペースが生まれているっていうのが、すごい心地よくて。「なんかこうやって名前呼び合うの楽しいね」って。
あとは、別棟のところどころに、野花が自然なかたちで活けられていたのも印象的でしたね。娘が通っていた保育園は、お散歩中にとってきた野の花を飾る保育園だったんです。それに私の実家でも昔から玄関にお花を飾るっていうことをしてきたんですが、最近は値段が高くなってきているから、なかなかできなくなってきているところがあるんです。街の中に住んでいると、人の家の庭に咲いている花は奇麗だけれど、勝手にとってはいけないわけですし、でも公共の緑の場所って除草剤だらけで、心を掴んでくれるような野花がなくって。だから、野花を活けるっていうのは、普段から自分がやりたいと思っているけれどできていないことで、自分はそういうところに価値を感じるんだったということを想い出させてもらいました。「あ、こういう暮らし。良いなぁ」って。
二日目の朝の話で言えば、娘が「お母さん、川におりれるんだよ」って言ってくれて。私としては、どうやって川におりていくのか思いつかなかったから、もしかしたら行かないまま終わっていたかもしれない。でも、なぜか彼女はちゃんと見ていたんですね。「水が怖いかなぁ」とか、その時は娘は火傷もしていたから、「川に入って大丈夫かなぁ」というのはあったんですが、入ってみたら、娘はどんどん進んでいって、私もその後を追い、童心にかえるような感じになり。いろんな遊びもひらめいて。ほんと、時間が足りないような感じでした。
娘の保育園時代は、まさにこういう感じだったんですよね。雨が降っても、雪が降っても、外に連れていってくれる保育士さんばっかりだったので。身体全体をつかって、外で遊ぶ保育園。むしろ逆に「ちょっとくらい家の中でのんびりしようよ……」って思う日があるくらい。小学校に入ってからは、学童に行っても、管理できないっていう理由で外遊びには行けないし、十六時半を過ぎたら親を待つ時間ということで、自動的にDVDが流れ始めるっていう感じで……私は、こういうライフスタイルを娘に選ばせてしまったことに対して、自分を責めていた時期があったんです。そういうのもあって、休みの日くらいは外に連れ出してあげなきゃって……せっかく保育園時代に育んでもらった感性が、消えちゃうのがもったいないし、怖いなぁって思っていた。
今の日常の環境では、前のパートナーに買ってもらったゲーム機で、放っておいたら三、四時間、娘は遊んでしまう……でも、それもきっと彼女がいま体験したいことなんだなって思うから……「どれだけやったら飽きるんだろう」とは思いつつ、ひとまずはジャッジしないで過ごしているんですよね。娘には娘なりの価値観があるとも思うから。でもできれば私の正直な気持ちとしては、自然のなかで遊んでほしい。自然のなかで、自分の手を使って生み出す方が、人間らしいんじゃないかなぁっていうのが、私自身の見方のベースにはあるから。
そういったところで、でもやっぱり川とか緑がある場所に来ると、ちゃんと娘の感性は残っているものだなぁっていうことを、別棟での時間で再確認できました。娘はけっこう区別をつけている感じもするんです。例えば今通っている小学校のお友達と、あわ居別棟に来ても、たぶんあの日の遊び方はしないと思う。でも一方で自分の保育園時代に誇りを持っている感じもあるんですよね。年長の時には、年に数回、親と離れて二、三泊する合宿をしていたから。だからてっきり小学校になっても、外のアクティビティに参加するものだと思っていた。でも誘っても誘っても「お母さんと一緒じゃなきゃ嫌だ」ってなっていて。そういう意味では、親子で自然の中でどっぷり浸かるみたいな体験ができたのはひとつ良かったなぁと思うところですね。
ー次に、初日に90分の枠で実施した「プロセスダイアローグ」の時間についてお話を伺えればと思います。
「プロセスダイアローグ」は、自分が何を大事にして生きてきたのかとか、自分の弱みでもありでも強みでもあるような部分を確認するような時間でした。対話の中で、弱いロボット(*2)の話がありましたけど、「あ、弱みってそんな風に人を動かせるパワーを持ってるんだ」と。例えば生まれたての赤ちゃんって何もしないですよね。でも存在している価値があるからこそ、みんなが助けてくれるし、優しさを受け取ることができる。そういうことを考えながら、一方で、「じゃあ私は本当にそんなに動き回りたいのか」っていうことを考えさせられて。
私は旅が好きなので、はるばる石徹白にまで行きましたけど、日常においてはどこまで動きたいんだろうとか。本当は自分のところに会いに来てほしいのかもしれないなとか。私は頭でひらめいたら、すぐに行動に移せる人間ではあるので、「自分から動いちゃった方が人に動いてもらうより早いや」って思って動きがちなところがあるんです。でも「もうちょっと動かないでいても良いのかも」とか「人に頼っても良いのかな」とか。そういう状態でいることを大事にするというか。そういうことを考えさせられる時間でした。
それで、対話が終わって、それをすぐに日常で実践できるかっていうと、そこはやっぱり長年の自分の癖が沁みついているので……誰かが仕事で休みが必要ってなれば、「あ、自分が頑張らなきゃ」とか思ってしまうし、暮らしの中で心地よさを保つために、自分が先に動いちゃう方が良いってなってしまう。でも私はひとり親なので、そうやっていると、どうしてもキャパオーバーになってしまうんです。ミスが多発して、人に迷惑をかけてしまい、そこで周りが色々と対策を考えてくれるんだけれど、でも結局はそれが私の重荷になっていく……そういうことに気づかされて自信を失う出来事が、最近も随分とありました。そこで「もっと休むべきなんだなぁ」って自覚をして、実際に休んだり……それは身体としても風邪をひいたりして、休まざるを得ない状況に立たされたというところもあったんです。そうしたところで、あらためて今いるこの土地、この場所から、自分を満たしていくというか……赤ちゃんのように喜怒哀楽を表現していけば良いんだということを想い出しつつあるような感じです……。
ー対話のなかでは、以前に梅田さんが屋久島に住まれていた頃の話もしましたよね。自転車だけで生活をしていたから、その分いろんな人に助けてもらえたんだ、みたいな話をされていたと思います。一方で今住まれている場所は利便的な場所で……という。
そうなんですよね。今住んでいる市街地は、利便的だから、やりたいことがあればすぐに叶ってしまう。でも困ったときに頼れる関係性がどこまで育まれているのかなぁっていう……それはこの間、インフルエンザになった時にも痛感して。イベントで出会う知り合い程度の人は多いかもしれないけれど、本当に困ったときに「助けて」って言える存在が少ないなぁっていうことに、最近気づいたんです。今の場所に住み始めて二年になるんですが……あとは、訪問リハビリという仕事をどういう形で続けていきたいのかということについても、考えさせられました。例えば小さな地域限定の訪問リハビリがあったら面白いなぁということは対話の中で思いついたんですが、それはまだ自分の中のひらめきで止まっていて。じゃあ実際、いま私が働いている現場で、そういう形態が実現可能なのかとか……そういう相談をするまでには至っていない。
やっぱり自分は、てんかんがあって、人より脳のストレスを感じやすかったり、生活が乱れてパフォーマンスが落ちやすかったりするから……最近ドクターに、「娘さんの結婚式の時に、認知症になっていたら嫌じゃないですか?」って言われたんです。それにはドキっとさせられたところがあって。ちょっと忙しすぎて眠気が強くなり、その結果、脳波が異常波だらけっていうのが、結果として出てしまったんですね。だからその言葉は、ドクターからの忠告だったんだと思うんです。やっぱり自分はそういう弱さを持っていて、それは目に見えないものであるからこそ、もっとオープンにしなきゃいけないんだなぁって……ちゃんと周りのそのことを言わないと、人と同じようなパフォーマンスを期待されてしまう。結局それは後々周りに迷惑をかけることになったりとか、変に心配されることに繋がったり……もしかしたら最悪の場合、「うちの職場では難しい」って言われることだってあり得るわけで。
自然の中で生きることの方が、身体的にも負担が少ないなんじゃないかって思ったりもするし、そのあたりの話はあの時の対話の中でもしましたよね……でも、北海道だったり、山間部とかだと、雪を含め、自然の営みと向き合わなきゃいけないっていう覚悟も必要だから。それを私と小学生の娘、親子二人で乗り切れるものなのかという……良いところだけ見て引っ越しても、そこでちゃんと周りに頼れる人がいないと、簡単に崩れてしまうよなぁと。そういうのも含めて、「私はここで困っているんです」とか「ここだけはどうしても大事なんです」っていうところをちゃんと開示すること、そういうことの大切さを最近認め始めています。私がそうやって、人に感謝しながら頼るっていうことができるようになれば、もしかしたら私が想像していなかった誰かが楽になる可能性もあるのかなって。みんながみんな頑張っていると、生きにくい社会になってしまうと思います。ヘルプを出すリーダーみたいな、そういう役目があるのかもしれないですね(笑)。「私、できないです」「私、このままじゃ働きつづけられません」みたいなことを率先して出す、みたいな。
普通にこなそうとする自分もいるんだけれど、でも本当はもっと弱い自分をそのままで生きていきたい自分も同時にいて。あとは不自由さを楽しむっていうところも自分の特技というか……そこにも楽しみを見出すっていうのが自分の良さなのかなって。なので、プロセスダイアローグの中での「弱いロボット」の話は斬新ではあったんですが、きっともともと私が体験したことと重なることがあったので、だからもっと知りたい、もっと深めたいコミュニケーションの形だなって思ったんだと思います。
(*1)白山中居神社は、あわ居のある石徹白集落内にある神社で、白山信仰においての重要な拠点。あわ居からは徒歩30分、車で8分程度の場所に位置する。
(*2)「弱いロボット」は岡田美智男さん率いるICD-LAB が研究している「誰かの助けがないとなにもできない不完結・不完全なロボット」のこと。ゴミを見つけるけれど拾えない、雑談はするけれど何を言っているかわからないといった「弱さ」があることで、逆にそこから関係性が始まったり深まったりすることが特徴。詳細は『弱いロボット』(医学書院)などを参照。
インタビュー実施日:2025年1月20日
聞き手:岩瀬崇(あわ居)