体験者インタビュー集

 

 

vol.15:

       阪上さん/1974年生まれ

2023年8月に「あわ居別棟」に2泊3日滞在後、

「ことばが生まれる場所」に参加

(計3泊4日)

 


 

-まずは、あわ居にお越しいただいた時の阪上さんの状況や、動機、背景についてお伺いできますか?

 

 

状況としては、会社を退職して、どこか自然豊かなところに移住したいということを考えていて。ただ考えてはいたけれども、具体的にどこっていう所までは絞り切れておらず。あと、実際に移住してやりたいことっていうのも具体的に煮詰まっているわけでもなく。漠然とやりたいことはあるにも関わらず、「でもそれ、自分にやれるの?」っていう疑問感とか・・・。自分に対する、ちょっと不信感を持ったような状態でしたね、まだ。そういう感じでいたので、ちょっとあわ居さんの環境に身を置いて、自分の棚卸しをしてみたいなっていうのと。あともうひとつは、あわ居さんに対しての純然たる興味ですね。なんか、自分が住みたそうな所で、私がやりたそうなことをやっていらっしゃる方がいるっていうのは、どういうことなのかっていう。その二点で、お伺いしました。

 

 

-あわ居にお越し頂いたのは、退職されてから、どのくらいの時期にあたるのでしょうか?

 

 

退職したのは(二〇二三年の)三月だったので、ちょうど半年弱後ですね。退職してからの半年間は、やっと仕事から解放されて。「自分が自由に出来る時間が出来たぞ、きゃっほー」みたいな感じで、長い時間がとれないと出来ないと思っていたことをしらみつぶしにやっていたっていう時期でしたね。瞑想の合宿に行ったりとか、そういう風なことをやっていました。

 

 

-最初ご連絡いただいた際は、いきなり予約という形ではなくて、オンラインの無料相談の窓口からお問合せを頂きましたよね。そこで、その時の阪上さんのご状況についてお話を伺いながら、最初にあわ居別棟に二泊して、その後、本棟の「ことばが生まれる場所」を体験されるのが良いのではないかというご提案をしました。

 

 

そうですね。

 

 

-あわ居別棟での二泊三日の時間はどのようなものでしたか?

 

 

別棟の時間はね・・・。なんていうんですかね。自分がやってみたい生活の予行練習が出来たっていう。私の中ではそのことが一番大きかったです。やりたいものっていうのはあるんだけれど、でもそこまで自分で環境をととのえるのは時間がかかりますよね。周りから雑多なものを取り除くとか。たぶん自分でコツコツやっていけるタイプの人間であれば、とっくに出来ていたっていう話ではあるんですが。でも自分は、憧れるんだけれども、それをやったら自分がどれだけモチベーションが上がるかわからないから、なかなか手がつけられずにいた。そういう所に、(別棟があることで)一足飛びにそういう状況にもっていけたっていう。で、「やっぱりこれがベストだ」っていう風な味わいをさせてもらうことが出来たんです。「これ!ほんとにこれだ!」っていう。

 

で、別棟に居るわたしを、そっと置いておいてくれはるんやけれども、なんていうのかな・・・。例えば「お野菜これもあるわよ」とか「あれもあるわよ」って持ってきてくださったりとか、心を配ってくれはっている感じがあった。なんかそれがすごく心地よい滞在で。安心して自分一人で石徹白の自然の中に身を置くことが出来た。そういう印象を持っています。これは私の性格的なものもあると思うんですけど、完全放置じゃなくて、見守っている状態での放置っていうのが一番自由になれる人間なんですよ。完全放置されてしまうと、逆に不安になってしまうというか、なんというか。(でも逆に)人がいたら、その人は何を考えているんだろうとか、どう思われているんだろうとか、別にそんなこと気にしなくても良いだろうに、たぶん気になっちゃうんですね。そこに余計な労力を働かせてしまいがち。

 

チェックインの時に、美佳子さんがすごくフレンドリーに迎えてくれて、お話してくれたんで。そこの時点で、なんか岩瀬さん達の感じがわかって、そこでもう安心。もちろん、その前から安心は出来ていたんですけど・・・。なんて言ったらいいのかな。完全に放っておかれても、それはそれで楽しみだったとは思うんですけど。でも、私は(地区の)ラジオ体操に声をかけてもらったりとか、あの絶妙な感じがすごく好きでした。たぶんそれは人それぞれで、もっと自分の内面に入っていきたいっていう人だったら、もっと完全に放っておいてほしいっていう人もいるかもしれないし。

 

 

-なるほど・・・。いくつか気になった点があるのですが、阪上さんが、別棟で感じられた「やってみたい生活」とか「やっぱりこれがベストだ」というのは・・・。

 

 

ととのった、落ち着いた生活環境。自分に対しても丁寧な生活環境と言うか。鉄窯でご飯を炊くとかね。プラスチックのものが、なるべくない感じとか。あの辺ですね。うまく言葉に出来て伝えられているかわからないですけど。都会で、時間を短くして、便利な生活をしようと取り入れてたもの・・・。雑なっていうと変な言い方ですけど。そういうものと距離を置いた生活って感じ。

 

 

-都会での生活、そこでの時間の流れ方と、別棟でのそれとの間には、ちょっとギャップがあった部分もあったのでしょうか?

 

 

そうですね・・・。(兵庫に移住した)今から振り返ってみたら、どっちが日常なんだろうっていうか。その時に(自分が)身を置いていた大阪での日常のスピード感とは違うものだったっていう感じですね。あの時は、大阪でのスピード感が日常で、それが当たり前だと思っていて、自分の中でそれに合わせにいかなきゃっていう焦りがあって。たぶんそれが自分がずっと抱えていた焦りの元だったと思うんですね。常に焦りに追われているような状態で。そこで「焦るな、焦るな」言われても、その焦りから逃れられないみたいなところがあって。でも、そこが日常なんだよねっていう、アンバランスな感じがあったんですが。

 

今から振り返ってみたら、日常をどのポジションに置くかっていうことで。なんて言ったらいいんだろうな。あわ居さんは一種の非日常だったかもしれないけれども、私はそのあわ居さんのポジションの方に日常を寄せた方が、安心して日常を送っていける人間なんだろうなと。都会の方の、あっちに日常を置いてしまうと・・・。うん。苦しくなっちゃう人間なんだなっていうことが・・・。

 

 

-当時、大阪に住まれていた時の日常というのがまず一つあって。その中であわ居別棟に滞在するというのはその時点では非日常的な行為なわけですが、実際にそこでされていたのは、ご飯作って、洗濯して、散歩してっていう、日常的な行為だったわけですよね。その意味では、大阪においての日常とは違う日常があるんだみたいな。こういう時間が、普通の日常になる可能性もあるんだ、というか・・・。

 

 

あー・・・。そうですね。まさしくその通りです。ご飯作るも、洗濯するも何もかもあそこでやっていたっていうのが、すごく大きかったです。イメージがつかめました。なんだろうな・・・。何をしても嬉しい。自分が。例えば、ご飯を作ることが嬉しい。寝て起きて嬉しいとか。そういう風な感じですね。

 

 

-嬉しい・・・。

 

 

旅行に行っているわけだから生活ではないんですけど、でも生活の疑似体験をしていたわけなので。だから自分が生活すること、生きていくことに対して・・・。うーん・・・。なんて言ったらよいんだろう。生きるよろこびみたいな感じですかね。素直に。自然の中で、自分のペースで、自分でいられる。自分のやりたいように、生活が出来て。眼に見えるものとかも。がちゃがちゃしてると・・・。片づけることは苦手なくせに、がちゃがちゃしているのが嫌っていうところがあるんですけど(笑)。だから、がちゃがちゃ感がなかったのも良かったんだろうなとは思います。あとは土地の力というか。ちゃんと地面に根ざして、自然と共に生きているような所じゃないですか。うん。なので、そこに同化して、根源的に、どっちかと言ったら動物本能的に嬉しかったんだと思う(笑)。

 

 

-「こういう自分もいるんだ」っていう所もあったんですかね・・・。

 

 

えーと・・・。そうですね。頭の中で、こういうこと出来たら良いよねって思ってたものが「あった!」みたいな。しかもそれを「私、今やってる!」みたいな。うん。イメージだけだと漠然としてたので。それを五感で感じられて、今ここに居るっていうのが。そうですね、それが嬉しかったんでしょうね。「いや、いける!」「出来る!」「ある!」みたいな(笑)。

 

 

-可能性がひらいたというか。「こっちだ!」みたいな確信というか。

 

 

そう、そこは大きいです。あわ居さんに滞在したおかげで(その後の移住が)一気に動きました。確信ですね。「あれが良いなぁ」じゃなくて「これだ!」っていう。うん。

 

 

-「これだ!」っていうのは、あわ居別棟と同じ環境に住むとか、設えにするという話ではおそらくないですよね。別棟にいる時の、阪上さんの状態とか、感覚とか。そういうのを感じられる生活環境を「作ろう!」っていうそういう感じですよね、おそらく。

 

 

そう、そういう感じです。在り方ですね。友達とか自分の周りの人に、自分の思っているやりたいことの話をすると、必ず「そんな夢物語みたいなことを、あんたに出来るの?」とか「どうするの?食べていけるの?」とかいう感じで、徹底的に潰されるんですよね。たぶん。たぶんじゃなくて実際に。そこまできつい言い方ではないにしても、「いいね、そういうの」とか言いながらも、「でも大丈夫なん?」っていう(笑)。近い人間ほど、そういう反応になる。

 

 

-そういうのもあって、どこか疑心暗鬼というか、「ほんとにいけるのかな?」って思っていたのが、「もうこっち行ってやれ」みたいな(笑)。

 

 

そうですね。なんか天秤で言ったら、ずっと自分のやりたい生活の方に、おもりを置きたいのに、どうしても人から言われることを気にして、そうじゃない、大阪での生活の方にどんどんどんどんおもりを載せてしまっていて。全然なんか針が触れないって思っていた時に、「どん!」って大きい分銅を載せてもらえたみたいなイメージでしょうかね。

 

 

-たしかオンラインでの最初の相談をした後、滞在日について調整をしている際に、「今面接を受けていて、そこに就職する可能性もある」という旨をメールに書かれていましたよね。堅実で、現実的に見える方にやっぱり戻ろうかなみたいな。そういうゆらぎも当時あったのだとお察しします。

 

 

そうですね。そっちの方が堅くて良いんじゃないかみたいな(笑)。そこに就職を決めていたら、大阪に残ることになっていたわけで、(兵庫に移住をした)今から考えたらあれ以上大阪に住み続けるって考えられないんですけど(笑)。

 

 

 

-それで、あわ居別棟に二泊されて、その次にあわ居本棟での「ことばが生まれる場所」に参加されたわけですが、阪上さんにとって本棟での時間はどのようなものでしたか?

 

 

まず、はじめに崇さんがじっくり話を聴いてくださったじゃないですか。ご飯の前に。うん。そこですっごい勢いよく話をしちゃったなぁっていう覚えがあります。いろいろと、えらい時間をかけて。今もそうなんですけれど、私の話し方って、あんまりまとまりがないんですけれども、ちゃんとそこを。うん。話を聴いてくれて、有難いなっていうのと。あとは、話はそれちゃいますけど、こんな広い空間、ひとりで使って良いのかなって(笑)。別棟でも思いましたけど、本棟は余計そう思いましたね。

 

 

-それで、お風呂に入られて。その後、食事をしながらいろいろな話をしたと記憶しているのですが。特に印象に残っている場面などはありますか?

 

 

それはね、中動態(*1)の話です。崇さん自身が中動態的なあり様を大事にしているという話をされていたと思うんですけど。うん。で、私自身も、中動態的な人間だなって思って・・・。なんていうのかな。崇さんは(そのあたりのことを)言語化していくことで、この世の中にうまく繋がっていっている気がするんですが、私の場合は、中動態的なのに、色んなことを言語化せずにここまで生きてきちゃったっていう部分があって。対話の中でそのあたりのことを話している時に・・・。

 

(当時のメモをみながら)そうそうそう。今ちょっとだけまとまりました。あのね、私は言語化するために、すごく時間がかかる人間で。スピーディーに生きていると、言語化している時間がないんです。ないから、私が言語化をやっていると、ほんまに日常生活のテンポが何テンポずれてくるのっていうくらいズレてきちゃうので。で、そこを端折っちゃっていた部分があったなって。今、ふっと思いました。

 

もう一個は、私が不快な感覚への耐性が低いっていう話で。崇さんだったら、例えば執筆するってなった時に、生みの苦しみみたいに、そこには不快さもあるけれど、でもそこを耐えて生み出してはるんやけれど。なんやろう・・・。そういう不快さに耐えられなくて、逃げちゃってる部分が私にはあるのかもねっていう話にあの時なりましたよね。私が大学院の時に、研究テーマが探せなかったっていう話もしたりして。

 

で、ほんとにそれはその通りだと思いましたし・・・。そこは自分の中でも、どこかで思ってた所があったから・・・。耐えなければいけない不快と、耐えなくても良い不快っていうのがあって、そこの区分けがすごく下手で、生きづらいっていうか・・・。耐えなくても良い不快に耐えて、耐えなきゃいけない不快に耐えられないがために、どんどん迷走しちゃっていたんだろうなって。うん。今から考えてみたら、(私にとっては)都会の生活っていうのは耐えなくていい生活に耐えていたんだと思います、ほんまに。自分が言語化が苦手な部分を、食事をしながら話をしていくうちに、それこそ中動態的じゃないですけど、崇さんがなんとなくの私のイメージを掴んでくれて、言語で返してくれるんですよね。で、その言語をこっちが咀嚼して、自分の心で確かめる、そういう風な時間を過ごせる所でしたね。

 

 

-それで、現在は既に兵庫に移住をされているわけですが、あわ居での三泊四日を終えた後の時間について少しお話を伺えますか?直接的に作用したかは別として、何か起きた変化であったりとか・・・。

 

 

あー・・・。自分に対してよい意味で優しくなりました。たぶん。なんて言ったらよいのかな・・・。なんかもっと自分が人に合わせられないのがダメで、人に合わせなければいけないと思ってた。もともと。でもそこは、そこまで気負わなくても良くって。あ、そうそう。それがあるからこそ、小さいコミュニティのところに移住を決断するのが怖かった。合わせなければいけないと思っているから。合わせようとしてしまって、でも結局合わせきれない自分がいて。そこで崩壊するのが、なんとなく薄々自分で目に見えていて。うん。けど、そこもバランスの取り方があるんだよっていうことを、あわ居で聞けて。

 

雑な言い方をすれば、「それで良いんだ」って。なんだろう。自分のメンタルポジションを良い場所に置くための、取捨選択・・・。もうそれは、メンタルを持ち崩した時に、散々言われてきたことではあったんだけれど。それは別に、都会のサバサバした人間関係、実際サバサバしているかはわからないですけど(笑)、そういう多数(の人が)いるところに暮らそうが、少数しかいない所に暮らそうが、ベースの部分は関係ないというか、一緒っていう感じですかね。

 

 

-耐えるべき不快と、耐えなくても良い不快の整理が少しずつ出来つつある・・・。

 

 

そうでしょうね。おそらく。うん。ただそれを整理していくためには、自分に対する自信と言うか、信頼というか。それがあってのものだから。そこが必要だったんだなって。そこに対する方向性があわ居で作られたのかなっていう風に思います。飛行機の揚力が働き始めたみたいな感じ。うん。今まではどれだけ飛ぼうとしても飛べなかったのが、そこでふっと飛びはじめたみたいな。たぶんあわ居さんに居るときは、あがり始めのところだから、自分では実感がなかった。だから(その時には)「あ、ここで」っていうのはなかったけれども、日数を置いて振り返ってみると、確かにあそこからだったと思います。

 

それは浮くか、沈むかっていうメンタル的な話で。飛びたい飛びたいって思っているのに、いくら滑走路を走っても、なんでか知らんけど地面の方に引きずられるだけで。どこまで走っても飛べないから、もう私、このままいつまで経っても飛べないんかねぇと思ってたところの、揚力。上がる力ですよね。

 

 

-人って割と常にせめぎ合いというか・・・。悪い方に引っ張られる力が働いている一方で、未来をよくしたいっていう力も働いていて。それでいうと、後者の力が強くなってきているところがあるのでしょうか。

 

 

うん、うん。そうですね。前半にも天秤の話をしましたけど。ほんまにバランスが・・・。どうしても自分がやりたい方向、動きたい方向にいかない。なんかこうおさえつけられているっていうか、こうほんまに地面に引き寄せられていくっていうか。そういうバランスだったのが、変わるポイントだったなって思ってますね。

 

 

-そのおさえつけられていた、っていうのは、一体何によってだったのでしょうか・・・。

 

 

そうですね・・・。自分の生き方に・・・戻る。あ、でも戻るでもないかぁ・・・。いっとき、自分ではない何かになろうとしていた時期がずっとあって。それは何でかと言うと、自分のままでやったことを否定された経験があったからです。うん。否定されて、それと同時に何をやってもうまくいかなくなったから。で、何をやってもうまくいかなくなった時に・・・。自分のやり方で何かをやろう、気力を湧かそうと思っていたら、身内の者に、「たとえ納得できなくても、まずはアドバイスされたとおりに、なぜやってみないのか?」と非難されて。なんていうのかな。それまでは何か問題を解決する時に、ちゃんと説明してもらって、「それなら納得できる」っていう所でやってみて、自分のやりたい様にやっていたのに。

 

で、納得しなくてもやらなきゃいけないだろうけど、でも納得していないことは出来ないしみたいな感じで・・・。なんだろう・・・。自分のコントロール方法を自分で見失ってしまっていた時期がずっとあったんですね。で、そんな状態になってるから、ますますなんかコントロール出来ないし。周りからもわけわかんない奴って思われちゃうしっていう悪循環があって。ここから抜け出したくても、ほんとにもうなんかわかんなくなっちゃって。抜け出せなくなってたんですが・・・。それがぽんっといきなり抜けちゃったっていう。そういうことなんですよ。

 

 

-なるほど・・・。その、ぽんっていきなり抜けたっていうのは一体何なんですかね(笑)

 

 

(笑)。うーん、ねぇ。そうですよね。そこを言語化したいですよね・・・。うーん、それは、いきなりではないんですよ。うん。あわ居に行ったから、そこから、ぱすっと抜けたっていうわけでは勿論ないです。それはないんだけれども・・・。だからあの時には、そこまでの手ごたえがあったわけでは勿論ないにしても・・・。でも、ほんまに、あそこらへんから変わっているんですよ。

 

あわ居の対話の中では、移住先としてどこにっていうのも決めてないっていう話をしていましたよね。そう言ってたんやけれども、あの後、一週間くらいで、今住んでいる所に、とりあえず行ってみようって決めたんですよ。あわ居を離れてその後も、旅行をしている内に、段々そこで良いような気がしてきた・・・。あ、これが一番あれかも。とりあえず身を置いて感じることの大切さをあわ居で感じたから、とりあえず身を移してみて、そこで自分が合うかどうかを試してみればいいじゃんって。そういう踏ん切りがふわっとついたんですよ。そこで。むしろそれが必要だなっていう感じ。

 

 

-そこですぐにお試し移住を始めたんですか?

 

 

あ、いや。その時点では役所に電話をして、今住んでいるところ(移住体験住宅)を押さえさせてくれっていう手続きをしただけで。せかせかやってもしんどくなるだけだなっていう所で。実際にお試し移住するまですっごい間を置いて。九月の上旬にとりあえず移住したいと言ったんだけれども、実際に移ったのは十一月の半ばなんで。そこでそのセレクトが出来てるっていうのも、自分に負荷をかけずに、良いパフォーマンスのためには、こうしたらいいんかなっていう選択が出来てるっていうことなんで。

 

 

-なんというか、そうした精神的な変化があったことについて、やっぱり明確な因果付けは出来ない感じがします。でも、「自分の生き方でいってやれ」っていうところに対して、いろんな要素が絡まって、そうなったのかなということは確かに感じます。

 

 

あー・・・。そのまとめがしっくりくるかもしれないです。全体的な流れの中で、そういうことが起きたというか、なんというか・・・。私の感覚としては、それを別に整理する必要もないかなって(笑)。うん。

 

 

-よくわからないけれど、身体がそっちに動いたっていうことですよね。頭でどうこうではなく。

 

 

そうですね。うん。あまり頭で考えすぎない方が、本当は良い人間で。考えるのはあくまで補助なんですよ。感覚に対して理屈づけするための頭なのに、先に方向を決めるために頭を使おうしてて、五里霧中に入っちゃっていたんだと思います。

 

 

(*1)中動態は「する(能動)」と「される(受動)」の間にある現象を捉えようとする概念。

 

インタビュー実施日:2023年12月24日

聞き手:岩瀬崇(あわ居)