対談タイトル 

「場づくりの詩」

 

場をつくることは、自らをつくっていくことでもある—。生成、傷、居場所といった語句をテーマに展開する、場づくりの実践者による「ことば」の交響。

目次

・アートとしての場づくり

・生を肯定する作法

・個人の傷、社会の傷

・傷に居場所を与える

・未知のための言語


対談者:百瀬雄太さん

(庭文庫店主)

1988年生まれ東京都出身。岐阜県恵那市育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中は、主に、地域型アートプロジェクトに参加。地域政策とアートについて研究。並行して、詩作、作詞作曲を始め、ギターを弾き歌を歌う。大学卒業後は、医療系SEとして就職。2015年に会社を辞め、地元恵那に帰る。現在、庭文庫と、あさやけ出版を営みながら、詩、小説、エッセイ、絵、造形、音楽、舞踏、写真などの、様々な芸術形態に身を浸しながら、生活と制作を行う。


 

●アートとしての場づくり

 

 

■岩瀬:

まずはあわ居についてどんな印象をもたれていますか?

 

 

■百瀬:

なんて言うのかな……例えば岩瀬さんは著書『ことばの共同体』でも「あわ居ってこういう場所なんじゃないか」と書かれているし、今回の対談もそうですけど、あわ居ってなんだろうとか、あわ居ってこういう場所だっていうのを、岩瀬さんが理解していきたいところがあるんですかね。

 

 

■岩瀬:

自分が、というのはもちろん多少はありますけど……あわ居は私的な場なので、その場にしかない面白さとか手ごたえというのは感じつつ、一方でそこでの行き詰まりというか、限界も感じているんです。ですので、この私的な場、もっと言えばこの極小的な場の価値を、どう社会や第三者的な他者に分かち合えるだろうかっていう部分での、言語化への興味が大きいのだと思います。

 

  

■百瀬:

なるほど……まだ僕は実際には行けていないので、体験としては分からないんですけど、あわ居のホームページや、そこに掲載されている「体験者インタビュー集(*1)」などを読んだなかで、あわ居にどういう意味があるかという話で言えば、色んな意味があると思っています。第一に、僕はあわ居に対して、アートとしての場づくりみたいなことをしているという認識を持っています。すごく切実で誠実な仕事だな、と思っているというのがまずはあると。

 

『ことばの共同体』の中で、岩瀬さんは文芸としての詩に興味がなくなってきたという話を書かれていますけど、そこにも自然な流れを感じている。表面的に見れば、文芸としての詩を書くことと、あわ居を作ることというのは、詩人の仕事と場を運営する人っていう部分で、わけて捉える人もいるかもしれない。でも僕の中では、そこが密接に繋がっているというか、現われが変わっているだけというか……岩瀬さんの核心部から生えてきているものとしては一緒だなと。いわゆる文字を書く詩ではないけれど、出来事としての詩があわ居で起きている。それは文芸としての詩を超えて、岩瀬さんが言うところの「ことば」が立ち現れてくる場所を作っていらっしゃるのだなぁと思っています。

 

あわ居の「体験者インタビュー集」については、六、七割を読んだんです。そこで僕が一個着眼していたのが、岩瀬さんが「特に印象深かったインタビューです」って事前に教えてくれたのと、そうじゃないのにどういう違いがあるんだろうっていうところ。僕の予想では、人間同士の対話を超えて、雨の音とか植物とか、非人間、あるいは自然界と言っても良いですけど、そういうものに触れて、外に開かれちゃう感じの話が、(岩瀬さんが印象深かったと教えてくれたインタビューには)結構出てくるんじゃないかって。で、読んでみると、確かにそういう話が出てきたりして。予想はあっていたのかなと。

 

そのあたりでひとつ思うのが、「<異>と出遭う」っていう言葉についてですよね。あわ居の今のキャッチコピーと言ったら良いのかな。その<異>には、人間同士の<異>がある一方で、人間の外にある<異>も含まれていて、そういうものと出遭う場所としても機能しているんだなぁと……具体的なエピソードで言えば、あわ居にいて、雨の音が普段と違う聴こえ方をする(*2)っていう……その異なりに触れることで、もうなにかが生じちゃっているわけじゃないですか。

 

 

■岩瀬:

そうですよね。

 

 

■百瀬:

それってすごく大事なことだなと思いながら読んでいました。彼女自身は、そこから文芸としての詩を書くわけではないけれど、外にひらかれてしまう。交わって、生成してしまっているんだと思うんです。時にそれは彼女の語りとしての言葉を生み出すかもしれないけれど、でも語り以前に変わっちゃってるんだろうなと。岩瀬さんの本でも、教育学者の矢野智司さんの「生成としての教育(*3)」の話が出てきますけど、まさにそういうことが起きる場所を作れているんだなと。

 

そして、岩瀬さん自身も、前よりも、もっとひらけてきているのかなという気もします。岩瀬さんの『詩と共生』を読んだ時の感触として、あの頃の岩瀬さんは「生活の中に詩を置かねば」という感じと言うか(笑)。人間社会の中にちゃんと詩を生やしておかねばとか、詩がちゃんと生えている社会を実現しなければ、っていうようなニュアンスが、なんとなく強かった印象を受けています。それで根本が変わったわけじゃないんだろうけど、『ことばの共同体』の中では、「詩は遍在する」って書かれていますよね。僕もほんとにそう思っている。ある意味、人間社会に入り込まなくても、そこらじゅうに詩は生えるんだろうなと思っている。ただ、あくせく忙しすぎたりとか、自然界が排斥された都市構造の中とかだと、人間社会が世界みたいになっちゃって、外へのひらかれが起きづらいのかなというところは難しい部分ですよね。

 

ざっとまとめると、あわ居の良さは言語的にも、非言語的にも外へ出る仕組みというか、外への関係やコミュニケーションが、そこにあることなんだろうと。言語的には、岩瀬さんや美佳子さんと喋ったり、異なりを持つ他者に触れたりすることで、自分の思い込みや抑圧していたものが剝がれ落ちていく過程があるんだろうなと思ったし、一方でそれだけじゃなく環境的な側面で、岩瀬さん達を超えたものが協働しながら、言語的じゃないところにおいても外に連れていってくれる。そういう場所なんだなと。

 

 

 

●生を肯定する作法

 

 

■岩瀬:

先ほど百瀬さんが「アートとしての場づくり」という言葉を出されました。その言葉はいくつかの捉え方ができるのかなという気がします。例えばインスタレーションとか絵画といった、いわゆるアート、いわゆる作品と言われるようなものが立ち上げてくれる体感だったり現象だったりを、場の中で作っているっていう意味合いにおいて、まず一つ、その言葉を捉えられる気がする。一方で、これは場を作っている人間としての僕の印象というか、直観ですけど、例えば庭文庫っていう場を作られている百瀬さん達は、やっぱり自分の為にやっているんだろうなっていうことをすごく思うんです。つまりなにが言いたいかというと、主宰者自身が自分自身を作っていくっていう意味でのアートっていう文脈においても、さっきの「アートとしての場づくり」という言葉は解釈できるなっていうふうに僕には聞こえました。そのあたりについてはいかがでしょうか。

 

 

 

■百瀬:

いや、ほんとそうです。その話も含みますね、たぶん。岩瀬さんが言ってくれたみたいに、庭文庫は自分のためでもある。庭文庫を作っていくうえで、まず思っていたのが、僕が居たい場所、僕が自然にいられる場所を作ること。誰かが、っていう以前にまず僕が居たい。僕が自然に居たら、たぶん誰かも居心地が良いだろうっていう感じ。そのなかで最初から考えていたのは、いわゆるサービスをしないっていうこと(笑)。僕の親族がコンビニ経営とか、コンビニで働いている人ばかりなんですけど、コンビニってめっちゃ嫌だなぁっていうふうに小さい頃から見ていました(笑)。あぁいうふうに主と客をわけて、お客様は神様だってするから、クレーマーが出るんだなって思っていた。

 

もちろん、庭文庫に来てくれる人がいるのはありがたいし、嬉しいんですけど、僕はお客様のために、ってやっている気はない。僕は庭文庫で珈琲を出したり、本を売っていたりするんですけど、歌いたかったら歌っているし、絵を描きたかったら描いている。野生動物の一匹で居ようっていうのは、最初から思っていたところです。だから、主だけど、主じゃない。僕はあわ居に行ったことがないから、はっきりとはわからないけど、庭文庫では歓待っていうところまではしていないなぁと。迎え入れるということに、あまり力点を置いていない。それは良い悪いじゃなくて、迎え入れることでできることがある一方、迎え入れるっていうふうに自分がやっちゃうと、自分が自分を疎外しちゃうところがあるなぁと思った部分がある。だから、庭文庫は、僕が居るよ、入っても良いよっていう感じでやっている。そのうえで、あなたが困っていたら、ちょっとサポートするっていうニュアンスが強いのかな……。

 

 

■岩瀬:

なるほど。

 

 

■百瀬:

僕は庭文庫を始める前、二十六歳くらいの頃、人間界に絶望、失望していました(笑)。(東京から)恵那に帰ってきた頃は、もう二度と人間に会いたくないなぁ、って感じだったんですよ。蛾だけが友達だなって(笑)。それから妻と出会い、結婚をした。それで、妻と出会った時に、「あ、人間としても生きるんだなぁ」っていうことをあきらかにされた。それで、「じゃあ人間やるかぁ」と思って……だから庭文庫は、僕が人間をやる舞台として、ひとつ機能している。こういう場所がないと、僕はうまいこと人間界、人間社会に入れなかったんだろうなぁと思っている。そういう意味ではまさに自分のためですよね。

 

アートって割と、生を肯定する作法だなと思っています。僕がさっき「アートとしての」ってあえて言ったのは、そういう意味合いでのアートっていうところが強いですね。抑圧されたものからなにかが生えてきたりとか、そこから作ることで肯定されていったりするような過程が、そこにはあると思っている。岩瀬さんが『ことばの共同体』で書いていたみたいに、自分の考えとか思いみたいなものを、最初から肯定できていたら、岩瀬さんもあわ居をやっていないだろうなと思う。肯定できなかった抑圧があったり、そうなってきた傷があって、でもそれを超えて、それを受容していって……そうやって生きてきたからこそ、それができない人の痛みがわかったり、寄り添えたりするんだろうなぁと思っている。

 

これは詩を書いていた僕の体感ですけど、文芸としての詩を書くことって、大きな意味での、自分の生きている言葉を書くことだと思うんです。自分の身体と結びついた言葉というか、借り物じゃない自分の生に密着した言葉を書くという行為。そしてそこには、そこで生きても良いんだって、自分で自分を後押ししていく部分があったなぁと……だから岩瀬さんが、文芸としての詩に興味がなくなってきたのは、岩瀬さん自身の身体はもう自分の言葉を生きられるようになっちゃったのかなと。だからそこにあまり興味をもたなくなってきていて、そのうえであわ居という場所に力点が変わってきているのかなとも思える。自分の言葉を他者と分かち合ったり、他者からの言葉を導き出したりといったふうに、言葉の発生の仕方が変わってきているのかなと感じています。岩瀬さんが自分の本を書いて、出せちゃうことができることも含めて、自分の言葉を世に発して良いのだっていう、肯定が現われとしてある気がする。

 

 

 

■岩瀬:

面白いですね。さっきの「あ、人間としても生きるんだなぁ」じゃないですけど、百瀬さんであれば庭文庫が、僕であればあわ居が必要で。それって要は、生きていくうえで必要だっていうことですよね。さっき都市構造が外のないものになってしまっている、っていうような話がありましたけど、生きていくうえでは、外と、もっと言えば外部とどう関わっていくかというのはすごく大事な部分だと思うんです。だから僕自身は、自分にとっての外を作っていくという意味合いでも、おそらくあわ居をやっている。

 

例えば人類学者の松嶋健さんの『プシコ ナウティカ』という本の中では、今の社会には出会いがないということが書かれています。出会いがないという状況は、国家を含めいろんな問題が背景として複雑に折り重なることで成立してしまっていると。『プシコ ナウティカ』はイタリア精神保健(医療)についての話ですが、出会いがないという部分で言えば、日本においても似通ったところがあるように思うわけです。というより多かれ少なかれ、これは世界的な傾向としてあるようにも思える。出会いというのは、他なるものに触れることですよね。無限とか外部とか色んな言い方はあると思いますけど、要はよくわからないものに触れるっていうところ。

 

そして『プシコ ナウティカ』の中では、多くの病理的現象の根底には他者との出会いの欠如があるという指摘がされています。他者との出会いがないところに、アイデンティティ、自己同一性なるものの病いが出てくるのだと(*4)。つまり他者から切り離されたところで、揺るぎない統合されたアイデンティティを持つことが、かえって病理に繋がってしまうという考え方ですよね。そうすると、生きていくうえではやっぱり出会いが必要になってきます。他者と出会っていくこと、自分を更新していくことが必要になる。だからイタリアの精神保健では、患者が地域の中でどう他者と出会っていけるのかという部分で、割と広い意味での「生きている」ことをサポートしているんです。

 

それで結局何が言いたいのかと言うと、僕は今の、いわゆる社会の中ではなかなか出会えないわけです。出会えないと、自分が変わらないわけです。変わらないと、「生きている」ことの実感もなかなか得にくい。自分が変わっていかない息苦しさを、自分自身、痛感した時期が長かったので、それも踏まえて、あわ居をやっているんだろうなっていう部分があると思います。

 

 

■百瀬:

なるほど。

 

 

■岩瀬:

それがさっき百瀬さんが言われたような、生を肯定する、肯定しない、っていうところの話に繋がってくるような気がする。誰しもが過剰さを抱えている部分があるなかで、無理やりに定型の箱に入れられたり、つるつるの無機質な環境に適応しろと言われたりすると、それはやっぱり厳しいですよね。厳しいと言うか無理です。本来は過剰さがあるからこそ、人と出会えるはずなのに、それができなくなってしまう。いわゆる社会という場所においては、能力とかスキルを介しての関わり、あるいはあらかじめ決められた作法に基づいての、最適化されたやりとりは良くあるわけですけど、そこで本当にざらっとしたものというか、さっき言ったような、わからないものとの出会いがあるかと言えば、それはまた別の話だと思うんです。

 

僕は会社に勤めたことはないですけど、大学以外はずっと地元の公立の学校に通っていました。そうしたなかで、おそらく自分自身は、自分の過剰さを、なかなか良いかたちで他者に受け取られなかった部分があるんだろうと思っています。一方的にラベリングされたりとか、今の社会の常識のようなものから見て、それはおかしいと言われたりとか。そういうふうに、自分の過剰さを否定的に捉えられてきてしまったことが、たぶん多かったんだろうなと認識している。

 

今はもう、それを出して良い場と、むしろ出さない方が良い場があるんだろうなっていうふうに思っているわけですけど……その意味で、それを出しても良い場としてあわ居を営みつつ、自分たちの過剰さが、良いかたちで受け取られる文脈というか通路というか、そういうものを作りたいんだろうなっていうふうに整理している。そのなかで自分自身の、あるいは他者のかけがえのなさのようなものが感じ取れる関係性が、瞬間的にであれ生じた時に、自分自身あるいは他者への受容度が高まっていくような気もする。つまり、やっぱり自分たちも自分たちのためにあわ居をやっているんだろうなって思います。

 

 

 

●個人の傷、社会の傷

 

 

■百瀬:

 

岩瀬さんは『ことばの共同体』の中で、岩瀬さん自身に抑圧があるっていうことを書いていますよね、それがすごい良いなぁと思っています。それって結局、自分のそういう部分を見て受け入れられていなかったら書けないと思います。つまり肯定できていないと書けない。それを見ずに、世界の問題と個の問題を切り離して語っちゃう人が、意外と多いなと思う。結局、世の中に色んな問題があるなかで、でもその人にとって重要な問題とそうじゃない問題があるわけですよね。それでその人にとって、なぜそれが重要な問題なのか、要するに世界の中で色々な問題があるのに、なぜある問題だけが、その人にとって重大な意味を持つのかと言えば、その人の抑圧に関わっているんだろうなと僕は思っている。

 

岩瀬さんが、その人がその人らしくなることについて、かけがえのなさについて考えていることって、自然とそこにフォーカスがあたるというか、それが岩瀬さんにとっての重要な問題なわけですよね。で、そこにやっぱり抑圧とか傷がおそらくあるよなぁと。もちろんそれを見ずに社会を変えていくのも良いですけど、その部分を岩瀬さんは見つめていて偉いなぁと(笑)。自己肯定と他者肯定って同時な気がしています。つまり、自分の暴力性を抑圧していると、他者の怒りにも不寛容になったりするけど、自分にも暴力性があるよなっていうのを自分で肯定できていたら、その暴力性に対して、別のところで肯定できるというか……自分が自分の中で受け入れられていないものほど、他者のそれについても受け入れ難くなるよなぁと思っています。

 

そういう意味では、他者のそういう性質、そうあることをちゃんと受け入れられることと、自分にもそういうところあるよなって思えることって、繋がっているなぁって思ったりもしている。岩瀬さんはやっぱり、自分の思いとか考えとかを肯定できなかったっていう自分を見つめて、そこを肯定できているから、そこを受容できているから、それが今できていない他者に対して、それを歓待できるんじゃないかと思います。

 

 

 

■岩瀬:

そうかもしれないですね。もともと自分は教師になりたかったんですよ。それで大学入試では教育学科にも受かっていたんですけど、なぜか行かなかったっていう(笑)。でも結局、あわ居でやっていることって、臨床教育学とか、ホリスティック教育、アート教育あたりに接続する部分もあるよなって思っていて、結局戻ってきたんだなっていうところがあるんです。さっきもお話した通り、自分は高校までは地元の公立の学校で教育を受け、そこでうまい具合に成型されつつも、でもそこで残念ながら国家が求める工業品にはなり損ねた(笑)。でもそこでの抑圧とか、均されちゃった部分は確かにあったと思う。

 

だからこの年になってみて、例えば自分の子どもを理想的な教育環境に置くとか、そういうことに関心がなくはない。でも自分に関して言えば、自分の辿ってきた道としては、まぁこれはこれで良かったかなというところも一方であります。そういうプロセスがあったからこそ、今こうしてあわ居で他者と関わることができている気がするから。

 

 

 

●傷に居場所を与える

 

 

■岩瀬:

あわ居っていうのは、<異>としているくらいなので、社会的な秩序からはずれた場所ではあるんですけど、たぶんGoogle Earthで検索すれば、ちゃんと出てくるはずです。調べたことはないですけど(笑)。だから社会というか他者と関わるために、この現実の中に位置しているということだと思うんです。どこまでいっても社会の中の一人でしかないなぁっていうところが自分にはある。

 

学校という名の工場で、よくわからない形にされかけましたけど、でもそれがあったからこそ、それをメタで見ようという気も起きる。そうされたのは何でなんだろうとか。そこで起きていたのは何なんだろうか。そこにどんな力学が働いているんだろうとか。もう一歩外に出て、あの場に存在していた構造を覗く視点が得られている部分が確かにある。自分は別に選んでこの時代に出てきたわけではないですし、たしかに高校受験はしましたけど、別の場所に生まれていたら別の高校におそらく行ったと思う。だからあの高校に行くという選択が完全に主体的なものだったかと言えば、それはまた違うように思います。

 

でもだからこそ、そこから自分と社会の接点が見えてくるというか、自分はこの社会のなかで何をしていったら良いのかを知らされるというか……そういうことを感じているんですよね。つまり僕が受けた傷があったとして、それはあくまで個人的なものですけど、ある種、社会的なものでもあるんだろうなって。僕もなんでこんなに自分はことばに興味があるんだろう、なんであわ居で対人的なことをやっているんだろうなって思ってはいたんです。それで、これは一年くらい前に気付いたんですけど、結局は自分がそこで一番躓いているからなんだなって(笑)。

 

 

■百瀬:

(笑)。それこそ本当に肯定ですよね。僕の肯定って受容に近くて。最近Twitterを見てると、整形美女のツイートが一杯まわってくるんです。それを見ながらよく考えるんですよ。彼女たちが美人に顔を作り替えて、自己肯定感爆上げってツイートしているんですけど、なんか自己肯定ってそういうことなのかなぁって。それって結局、今の社会で美人っていわれる価値を獲得して、自己肯定感爆上げなわけですけど、でも年を取って、その顔が衰えてきたりとか、その顔じゃなくなっちゃったりとかしたら、どうなるんだろう。要は社会的に既に価値あるものとされているものを、獲得することが自己肯定だと思っちゃうと、それがなくなっちゃうと自己否定になっちゃうじゃないですか。自己肯定ってそういう価値を獲得することではなくて、それ自体としてそうある自分を受容することなんじゃないかなって最近考えています。

 

岩瀬さんがあわ居をやっていたり、詩を書いたりすることとかもそうだけど、自分でもよくわからないけどそれをやっちゃうということ、そこにはそれ相応の、それぞれの事情が、わからないなりにもあるわけです。僕は普段はこんなぼけーっとしてますけど、絵を描く時は、描きながらものすごく暴力的になったり、獣じみて描くんですけど。制作しながら、制作の度に、「こんな俺がいたんだ」って気付く。やばいときには、紙に向かいながら、殺す殺す言いながら(笑)。それは結局、長らく僕は暴力性を抑圧してきたんですよね。親父が家庭内暴力で、両親が離婚をした。僕自身は殴られていないけど、おかんを殴ったのを見ててすごい怖かった記憶があったりして……暴力性を発露すると家族って壊れちゃうんだってそこで思った……。

 

僕にはずっと想い出す記憶があるんです。僕は十一歳の時に親が離婚して、親父にばれない様に、半分拉致されるように、おかんに岐阜に連れていかれたんです。その車の後部座席で横になりながら、車の窓から青々とした空をぼんやり眺めていた記憶。そのなかで、十一歳の僕はある種、悟っちゃったんですよ。「みんなバラバラなんやなぁ」っていうのをそこで見ちゃった。

 

その傷自体はもう消えないんですよね。一方で、二十代の半ばに歌を歌ってた時に、歌うことを空にとけるとか、空に還るとか言っていたんです。これも意味づけと言えば意味づけなんだけど、「あぁあの時にバラバラになっちゃったものを、色んな仕方でつなぎ直しているんだなぁ」とそこで思った。空の中でバラバラになっちゃった、ひとりぼっちでしかない俺を歌うことで、空っていう<異>なるものに、自分を溶解させていく。俺は俺だけと俺じゃなくなれるんだなって。より広いものに開かれて生きている感じがするなぁという過程があった。

 

だから自己肯定って、傷に居場所を与えることでもあるなぁと思う。それがそうなっちゃっていること自体は善悪ではなく、いろんなものの絡まり合いから起きている。あわ居に来る人たちにもそれぞれに生きていくうえで、いろいろあると思う。そこで誰かを責めることは簡単だと思う。「あいつが悪かったからこうなったんだ」って責めて解決しようとする人も多いんだろうけど……でもなんかそれは、根本的な解決というか、治癒にはならないような気がしている。その傷をまるっと受容することで、他責にせず、その先に進めるというか……。

 

あわ居のインタビュー集を読んでいて、岩瀬さんや美佳子さんとの対話を通じて、「あ、自分ってこうだったんだ」って気付いたっていう話がありますよね。多くの悩みって、悩みとして浮上していないところで、こんがらがったりしているなぁという気もする。そのあたりが、対話を通じて、今の自分の思考はこういう構造をしていて、今の時点でこうなっちゃっているんだなって、それ自体として受け入れられると、それ自体として利用できたり、そこから変わっていけたりするよなぁと僕は思っている。そういう役目というか、それが自分に見えるようになる場所として動いているのが素晴らしいなぁと。

 

 

 

■岩瀬: 

今の話にまるっと接続するかはわからないですけど、最近僕は、責任という言葉について考えるんです。例えば帰還兵がどうしても周りに暴力をふるっちゃうとか、親が子どもに暴力をふるってしまうとか。どうしても人を利用してしまうとか。そこには自分でもよくわからない、そうしてしまう何かがあると思うんです。その時に、それがどこから来ているのかなっていうこと、いわば自分の歴史と言ったら良いんですかね、それを見ることがすごく大事な気がしています。

 

ある人が周りにものすごく暴力をふるうとして、でも実はその人は親に同じことをされていたと。そこで「だって同じことを親にされたから」って言うこともできると思います。さっきの百瀬さんの言葉で言うところの他責。でも、「じゃあ親はなぜそれを自分にやったんだろう?」っていうところに目をやって、そこを切開していった時に、おそらく社会とか歴史っていうのが出てくるのではないかという気がするんです。

 

例えばそこに、第二次世界大戦との関連があるかもしれない、軍国的な教育が関連しているのかもしれない。あるいはもっと違う問題なのかもしれない。そういうものが見えてきた時に、その人は自分の持っている暴力性に対して、それまでとは違う態度をとることが、もしかしたらできるんじゃないかという気がしている。そしてそこでこそ、その人は自分の持っている暴力性に対して、あるいは自分という存在に対して、責任を持てるのかもしれないなと。

 

責任を持てたら、じゃあそれをどうやったら無くしていけるんだろうっていうところに、意識が向いてくるかもしれないですよね。一つのシステムとして、それをしてしまう自分を外から見れるようになるかもしれない。もちろんそうなるためには、その人の力だけではなく、周りのサポート、制度を含めて様々なサポートがいるのだと思います。容易なプロセスではないことは承知のうえでこう言っています。

 

これはさっきの僕の教育の話とも若干リンクしますけど、結局、個人の傷っていうのは、社会の傷、歴史の傷なんじゃないのかなって。そしてそこにこそ、その人がこの社会の中で、他の誰でもないその人として生きていく通路があるような気もするんですよね。僕でいえば、社会の中での生きづらさとか、受けてきた教育、その中での対人関係によって、仮に傷を受けたのだとしても、それはまぁそれとして。でもその傷をつけた彼らも、歴史や社会によって、それをさせられちゃっているのかなというところでみた時に、そこに自分と彼らに共通する傷があることが見えてくる。そのうえで、この社会や歴史の中を生きざるを得ない、それを引き受けざるをえない自分が、そこで何ができるだろうって、そう考えているのかもしれないです。

 

 

●未知のための言語

 

 

■百瀬:

僕が庭文庫をやるうえですごく思っているのは、それぞれがそれぞれの自然さを生きられるようになると良いよね、っていうことです。その根本には、僕が自然に生きられなかった時間が長かったっていうところがある。それは親とか学校とか、いろいろなものが関わりながらそうなってきてしまった。

 

僕は普段、庭文庫が社会的にどうこうっていうことは考えていないんですけど……なんで考えていないのかな……それはたぶん一個、僕が歌うことが、社会的に何なのっていうところを考えないことにたぶん似ている。例えば僕が歌って、店で泣いてくれる人がいて、良かったねぇと思うんですけど、でもその人のために歌っているわけでもないなぁ、って僕は思っている。僕が歌いたくて歌っていて、響いちゃって泣くと。それを意味や意義として捉えたら、その人の何かが癒されたということなのかもしれないから、そういうところで言えば、たしかにそこに意味や意義があったのかもしれない。でも僕らはあえて、「庭文庫ってこういう場です」って規定していないところがある。妻のみきてぃとも「元気な人より、心が病んでいたり生きづらい人が生きやすくなると良いね」って話したりはするんですけど、心を病んだ人のための場所ですっていうふうには言う気はない……それはただ僕が言わないだけであって、それを言うべきじゃないっていう話ではないんですけど。

 

あわ居のインタビュー集にも出てきますけど、真木悠介さんの『気流の鳴る音』をはじめて僕が読んだのが庭文庫を始めた頃です。読んで衝撃を受けた。庭文庫にはあれがくっついている。これは今回の対談の冒頭に、「岩瀬さんはあわ居について理解したいんですか?」っていう問いを投げたことにもつながるんですけど、僕は真木があの本で分析した「四つの敵(*5)」についてよく考えている。そこでの、意味へと疎外されないようにというところ。そのあたりで岩瀬さんはどうなんだろうなと。

 

岩瀬さんは『ことばの共同体』で、かけがえのない仕事って、言語を超えているところで生まれているよねっていう話をしたり、不安が強くなると概念や形式に頼りがちだよねっていう話をしている。でもこうやって、あわ居の意味を探っている岩瀬さんが今まさにこうしている。あわ居は不可避に生えてきていて、それをもちろん言語で分節することはできるんだけれど、岩瀬さんが書いているように、ともすると意味で囲い込むことで、損なわれるものもあるよなぁと思ったりもしていて。それが今回の対談の依頼を受けた時に一番困ったところ(笑)。

 

 

 

■岩瀬:

僕は真木さんの『気流の鳴る音』を大学四年生の頃に読んで、衝撃を受けましたけど、言語によって意味へと疎外されるっていうのは、まさにおっしゃる通りだと思います。それは言語の持つ危うさとしてあるのは間違いないですよね。そのうえで、この対談もそうですし、インタビューもそうですけど、結局は、僕はあわ居のことを言語にしようとしている。それが疎外になりうるのではないかという部分ですよね。

 

でも自分のなかでは、今こうして言語にしている行為というのは、ピンどめに近いんです。要は、今動いているあわ居をいったん仮どめする作業。いったん記述する作業。なぜそれを自分がしたいのかと言うと、仮どめをしたことで、また未知の他者と出会えるんじゃないかっていう、その予感を感じているからです。つまり、体験者にインタビューをすること、こうして対談をすること、あるいはその内容が本になり第三者に読まれるといったことのなかに、そこにまだ自分たちの知らないあわ居が出てくるんじゃないかと。そしてそこから、これまでにはなかった関わりが生まれたり、直接あわ居に来てもらえるといったことが起きたりするのではないか。あるいは全く思いもしていなかった使われ方をしたりとか。そこから出会いが生まれていく。未知の自分、未知のあわ居に出会っていくということですよね。

 

つまり、言語にはしているんですけど、それはあわ居が何なのかを規定する、意味で囲い込む目的でやっているというよりかは、これからもあわ居が生もので居続けるためにしている、という意味合いが強いです。生ものでしかないあわ居を、どうやったら共有できるだろうってところでの、言語への変換。詩を書く行為に近いですかね。なので、自分としては、あわ居をよりひらいていくための、より脱構築していくための行為として、それを捉えていますね。あと、百瀬さんが庭文庫について、そういう作業をしないのは、場の開き方の違いもある気はします。

 

 

■百瀬:

なるほどね。ひらくためにむすぶと。それはすごく大事なことですよね。

 

 

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(*1)あわ居のホームページ上に掲載の「体験者インタビュー集」は、書籍『あわ居-<異>と出遭う場所』に全文収録予定。

(*2)詳細は「体験者インタビュー集」の「vol.1:菊地さん」参照。

(*3)矢野智司(2008)『贈与と交換の教育学』p.126、東京大学出版会

(*4)松嶋健(2014)『プシコ ナウティカ』p.362、世界思想社 

(*5)真木悠介(2003)『気流の鳴る音』pp.160-165、筑摩書房

 

対談実施日:2024年2月15日